| 名前 | 場所 | 説明 |
| ◎天道神社 | 仏光寺猪熊西 | 平安京と同じく1200年の歴史があり悪病消除・子孫長久開運の御利益 |
| ◎成道院 | 綾小路大宮西 | 安産・子供の成長を見守る(子育て呑龍)の木像を安置 |
| ◎光縁寺 | 綾小路大宮西 | 住職と親交のあった新撰組隊士山南敬介ら沖田総司の縁者のものの墓がある。 |
| ◎西住寺 | 高辻大宮西 | 誌公観世音像「国立京都博物館に寄託」を持つ寺 |
| ◎妙厳院 | 四条大宮西 | 画家堂本印象及び印象の実兄で陶芸家の堂本漆軒の墓がある寺。 |
| ◎ 光林寺 | 綾小路大宮西 | 俳人炭太祗、儒医松田正木貞等の墓がある。 |
| ◎ 中川四明句碑 | 綾小路大宮西(光林寺内) | 俳人正岡子規に師事した中川四明が光林寺に眠る江戸期の俳人太祗を偲んだ句が刻まれている。 |
| ◎義経太刀掛の松址 | 黒門四条下る | この松の下で太刀を贈られた源義経と熊野別当湛増が祝宴を催したといわれる。 |
| ◎妙満寺由緒 | 綾小路堀川西 | 町名は顕本法華宗総本山妙満寺が一時寺地を当地に移したことに由来 |
| ◎住吉神社 | 醒ヶ井高辻下る | もと新玉津神社であったが火災で移転し改名した。末社人麻呂社は歌人冷泉為村が祀られる |
| ◎火尊天満宮 | 油小路綾小路下る | 祇園祭には油天神山を出し社殿の菅原道真の天神像を山に安置する。別名風早天満宮と呼ばれる。 |
| ◎観音寺 | 醒が井仏光寺下る | 清荒神が現在の荒神口に移るまであった所。よって元清荒とも呼ばれる。 |
| ◎化粧水碑 | 西洞院四条角 | 歌人小野小町の別荘があったとか。この水を小野小町が産湯・手水に使ったとかいわれている |
| ◎西綾地蔵尊 | 綾小路油小路西 | 仏師定朝作と伝えられる木彫りで金色極彩色の地蔵尊。身長約60cm立像。 |
| ◎道元禅師示寂の地 | 高辻西洞院西 | 曹洞宗の開祖道元禅師が俗弟子覚念の住居であったこの血で生涯を閉じた。 |
| ◎秦家住宅 | 油小路仏光寺下る | 下京で伝統的商家で市登録文化財。 |
| ◎大原神社 | 綾小路室町西 | 養蚕が盛んであった綾部町の大原講を移したもの。養蚕の神様を祀る。 |
| ◎繁昌神社 | 高辻室町 | 近くに問屋が多いことから商売繁昌の御利益があり、祭りの際神輿をかつぐと良縁に恵まれる |
| ◎菅大臣神社 | 仏光寺新町西 | 菅原道真公誕生の地といわれ、産湯の井戸も残っている。別名白梅殿社と呼ばれる |
| ◎北菅大臣神社 | 仏光寺新町西 | 菅原道真が太宰府に左遷される時句を詠んだ所といわれ、別名紅梅殿社と呼ばれる |
| ◎日吉神社 | 室町仏光寺下る | 山王祭の宵宮落しの故事のある神社 |
| ◎祇園社大政所御旅所 | 烏丸仏光寺下る | 大政所御旅所として八坂神社の神輿の渡御があったが現在は四条寺町に移転し社のみとなっている。 |
| ◎幸福地蔵尊 | 新町四条下る | ここに長く住んでいた老女が住居を町内に寄贈した暖かい気持ちに報うために町内が建立した。 |
| ◎神田明神祠 | 四条新町西入下る | 平将門の首をさらした所で、前の通りには将門供養の空也供養道場があった。 |
| ◎膏薬図子 | 四条新町西 | 平将門を供養するお堂の前の小路 |
| ◎杉本家住宅 | 綾小路西洞院東 | 町家として市内最大規模の住宅で、市指定文化財である。 |
| ◎本居宣長修学地 | 綾小路室町西 | 「古事記伝」を著した国学者本居宣長が医学修行のため寄寓していた儒医堀景山の邸宅があったところ |
| ◎神明神社 | 綾小路高倉西 | 源頼政が怪獣ぬえを退治した時に、祈願成就のお礼に奉納した鏃やじりが二本伝わる |
| ◎岸田俊子 | 松原東洞院東 | 自由民権運動の際に婦人解放運動に取り組んだ人物 |
| ◎花咲稲荷社 | 間之町高辻下 | 花咲亭逍遙軒と号した歌人である松永貞徳の邸宅内に祀られた社 |
| ◎匂天神社 | 高辻烏丸東 | 創建、由来等は不明。一度取り壊され、再建されるが、現在は祠1つを残すのみである |
| ◎因幡薬師(平等寺) | 松原烏丸東 | 薬師如来像、如意輪観音、釈迦如来、因幡堂縁起(全て重要文化財)を安置する |
| ◎仏光寺 | 高倉仏光寺下 | 真宗仏光寺派の本山で阿弥陀立像、聖徳太子像(ともに重要文化財)を安置する寺 |
| ◎光薗院 | 高倉仏光寺東 | 阿弥陀如来(重要文化財)を安置する寺。 |
| ◎大行寺 | 仏光寺高倉東 | 快慶作阿弥陀如来(重要文化財)を安置する寺。 |
| ◎夕顔塔婆 | 堺町松原上 | 「源氏物語」巻二、能「半部」に登場する夕顔を偲ぶ塔婆。個人宅。 |
| ◎豊園水碑 | 仏光寺東洞院東(洛央小学校) | 豊臣秀吉の別荘竜臥城址にあたり、秀吉が茶の湯を汲んだといわれる名水の一つ |
| ◎円山応挙宅址 | 四条堺町東 | 狩野派の画家石田幽汀に画を学んだ。円山派の始祖である円山応挙が住んでいた |
| ◎呉春(松村月渓)宅址 | 四条東洞院東 | 与謝蕪村に学び円山派の始祖である円山応挙の画の技法を取り入れた四条派の始祖呉春が住んでいた。 |
| ◎灯籠町会所 | 東洞院高辻下 | 祇園祭の保昌山を出す町会所で、市指定文化財である。 |
| ◎京都大神宮 | 寺町四条下 | 神前結婚式の方式を明治期に考案した神社 |
| ◎火除天満宮 | 寺町四条下 | 三度の火災に見舞われたが近辺と共に類焼を免れたため、火除けの神様として名高い |
| ◎透玄寺 | 寺町綾小路下 | 如意輪観音座像(重要文化財)を安置する寺 |
| ◎浄教寺 | 寺町四条下 | 小松谷の平重盛邸宅跡にあった「灯籠堂」が平家滅亡ご当地に移されてきたという |
| ◎聖光寺 | 寺町綾小路下 | 大石内蔵助の母及び天野利兵衛の墓がある寺 |
| ◎空也寺 | 寺町仏光寺下 | 空也開基の寺で、釈迦堂の釈迦如来は、おこりを治すという信仰があった。 |
| ◎永養寺 | 寺町高辻上 | 境内に明治8年当時の開智小学校の講堂がある |
| ◎浄国寺 | 寺町高辻下 | 江戸期の俳人である早川丈石の墓がある |
| ◎春長寺 | 寺町四条下 | 本能寺の変の際織田信忠に従って討死した京都所司代村井貞勝の菩提を弔うため建立された寺 |
| ◎徳正寺 | 富小路四条下 | 仏師快慶作と伝えられる阿弥陀如来を本尊とする寺 |
| ◎細川の井戸 | 富小路四条下 | 徳正寺にあり、「題徳正寺細川井」と刻んだ碑が立っている。 |
| ◎乗願寺 | 寺町仏光寺下 | 加藤清正の重臣森本義太夫の墓があり、江戸期の画家松村景文の襖絵を伝える |
| ◎冠者殿社 | 四条寺町東 | 「誓文払」で商人が「無言詣」で芸娼妓が各々罪を詫びて商売上の嘘を消してもらうという |
| ◎元開智小学校校門 | 御幸町仏光寺下 | 古めかしく時代劇の雰囲気があり、薬医門という明治後期の様式である |
| ◎勝円寺 | 仏光寺河原町西 | 後奈良天皇が帰依し、勅願を与えたという |
| ◎古高俊太郎寓居址 | 西木屋町四条上西 | 勤王志士を密かにかくまい、新撰組に捕らわれて池田屋事件の発端となった古高俊太郎がすんでいた |
| ◎武氏稲荷大明神 | 下松屋町丹波街道町 | 京都7口の1つ丹波口の近くに建てられている |
| ◎住吉稲荷神社 | 島原西新屋敷 | 天和年間に住吉屋太兵衛が建立した稲荷神社。 |
| ◎光隆寺 | 大宮花屋町下 | 画家狩野探幽の父孝信による襖絵がある |
| ◎慈雲寺 | 下松屋町五条下 | 「山州名跡志」に「古の中堂寺」と記されている寺 |
| ◎法華寺 | 西新屋敷中之町 | 東寺の法華堂を移したものといわれ、真言密教を学ぶために上洛した日蓮が住んだ所 |
| ◎硯水之井戸 | 西新屋敷中之町(法華寺内) | 日蓮上人お手堀の井戸、または日蓮筆洗いの井戸とも言われる |
| ◎日切地蔵 | 下松屋町中堂寺下 | 名前の由来は、日付を切って願い事をすると、必ず叶うといわれることから。個人邸宅内 |
| ◎木食上人地蔵尊 | 丹波口大宮西 | 町の聖と呼ばれた木食正禅養阿上人が作者といわれる |
| ◎東鴻臚館址 | 西新屋敷下之町 | 平安期、朱雀大路の東西にあった外国の賓客を接待した迎賓館 |
| ◎角屋 | 西新屋敷揚屋町 | 下之町現存する最も古い揚屋(重要文化財)で、度重なる移転を重ねて当地に落ち着いた |
| ◎輪違屋 | 西新屋敷中之町 | 元禄年間創業といわれる置屋で、市指定文化財である |
| ◎島原大門 | 西新屋敷中之町 | 島原遊郭の正門、市登録文化財 |
| ◎五条天神社 | 松原西洞院西 | 牛若丸と弁慶が戦った所といわれ、能「橋弁慶」の舞台ともなり「源平盛衰記」などに登場する |
| ◎徳成寺 | 六条堀川東 | 平安中期の僧恵心僧都(源信)作の阿弥陀仏がある寺。 |
| ◎真如院 | 猪熊五条上 | 織田信長が十五代将軍足利義昭のため作った庭をそっくりそのまま移転させた庭園がある |
| ◎林昌院 | 猪熊五条下 | 赤穂浪士・京都留守居役・小野寺十内の妻丹女の墓がある |
| ◎一音院 | 岩上五条上 | 豊臣秀吉の姉で、秀次の母である日秀が建立した寺 |
| ◎勧持院 | 猪熊五条下 | 本圀寺に帰依した加藤清正が宿所とした寺院で、境内の庭園は清正が作った |
| ◎瑞雲院 | 岩上五条上 | 小早川秀秋の菩提を弔う為開創され、秀秋の墓がある。 |
| ◎左女牛井之址 | 堀川通楊梅下る西側 | 能「正尊」歌舞伎「御所桜堀川夜討」狂言「清水」に登場し、源氏六条堀川館内にあった |
| ◎三善清行邸址 | 醒ヶ井通松原下る(醒泉小学校内) | 文章博士兼大学頭であり、菅原道真に辞職を勧告したという三善清行の邸宅があった。 |
| ◎山本亡羊読書室址 | 油小路五条上る西側 | 江戸時代の本草学者山本亡羊が薬草を栽培し講習所とした。邸内の香椿の木は市の巨樹名木の1つ |
| ◎亀山稲荷社 | 松原室町西入る | 穴稲荷の形式で江戸末期の祠の特徴をよく備えた稲荷社 |
| ◎俊成神社 | 烏丸通松原下る | 歌人藤原俊成の邸宅跡に祀られたといわれ、それにちなんで俊成の霊を祀っている |
| ◎松原道祖神社 | 新町通松原下る | 「今昔物語」、「宇治拾遺物語」に登場し、交通安全守護・縁結び・商売繁昌にご利益がある |
| ◎新玉津島神社 | 松原通烏丸西入る | 歌人藤原俊成が邸宅内に和歌の守護神として祀り、松尾芭蕉の師である北村季吟も祠官を努めた |
| ◎大泉寺 | 万寿寺通西洞院東入る | 親鸞が禅房を設けた所といわれ、本尊の阿弥陀如来は通称花降如来とも片袖如来とも呼ぶ。 |
| ◎光圓寺 | 松原通西洞院東入る | 紙本著色京洛月次風俗図扇面流図屏風(市指定文化財)を所蔵する |
| ◎親鸞上人入滅の地 | 松原通西洞院東入る(光圓寺内) | もと関白九条兼実の荘園で月輪本庄花園殿の旧地でもあり、親鸞上人が生涯を閉じた地である |
| ◎朝日神明宮 | 麸屋町通五条上る | 天から降ってきたという恵美須大黒の神石がある神社 |
| ◎命婦稲荷大明神 | 堺町通松原下る | 鉄輪の井伝説と深い関係ある稲荷神社。 |
| ◎鉄輪の井 | 堺町通松原下る | 夫の浮気相手を呪った女が身を投げたことから、ここの水を飲ませると縁が切れるといわれる |
| ◎不動寺 | 松原通麸屋町東入る | 平安時代に王城鎮護のため、都の四方に経文を埋めたという四岩倉の1つで南岩倉ともいう |
| ◎長香寺 | 高倉通松原下る | 徳川家康の側室おこちゃんの菩提寺で寺号はおこちゃんの法名長香院にちなむ |
| ◎牛若丸と弁慶の像 | 五条大橋西詰 | 御所人形作りの第一人者岡本庄太郎作で、牛若丸と弁慶の出会いの場面を表現している |
| ◎扇塚 | 五条大橋西詰北側 | 御影堂扇の産地であった。歌舞伎「源平魁躑躅」の舞台、扇屋「上総」はこの付近とされる |
| ◎古式一里塚松錺り神事 | 松原通麸屋町西入る | 毎年7月14日に、稚児・禿をはじめとする長刀鉾関係者が松原中之町祇園社へ参詣する神事 |
| ◎朝顔の塚 | 松原通麸屋町西入る | 光源氏のいとこである朝顔の君を偲ぶ塚。個人宅内にある |
| ◎若宮八幡宮 | 若宮通花屋町上る | 源頼義の産湯の井戸の伝承地があり、源頼朝から崇敬を得るなど、源氏とゆかりが深い。 |
| ◎興正寺 | 堀川通七条上る | 真宗興正派の本山で、明治9年西本願寺から独立した寺 |
| ◎西本願寺 | 堀川通花屋町下る | 飛雲閣、唐門、書院、北能舞台、黒書院、伝廊(以上国宝)玄関、浴室、鐘楼、能舞台、本堂、大師堂(以上重要文化財)がある。 |
| ◎法輪寺 | 東中筋通花屋町下る | 学問にすぐれ本願寺の草創期に能化代役として活躍した戒雲上人が初代住職を務めた |
| ◎大公孫樹 | 堀川通花屋町下る(西本願寺内) | 天明の大火の際西本願寺御影堂へ水を吹きかけたと伝えられ、水吹き公孫樹と呼ばれる銀杏の木 |
| ◎天満屋騒動趾 | 油小路通花屋下る | 海援隊士が、坂本龍馬を暗殺したとして三浦休太郎を襲った天満屋騒動があったところ |
| ◎本願寺伝道院 | 正面通油小路角 | 東京帝国大学教授伊藤忠太の「建築進化論」の考えを明確に表現した近代建築で市指定文化財である |
| ◎藪内家茶亭 | 西洞院通正面下る | 藪内家の茶亭で茶室燕庵は重要文化財。庭園は国の名勝に指定されている。 |
| ◎稲荷福若大明神 | 若宮通六条上る | 昭和のはじめに町内に神社がないことから建立された神社 |
| ◎諏訪神社 | 諏訪町通五条下る | 征夷大将軍坂上田村麿が信州の諏訪大明神を勧請した神社 |
| ◎赤松小三郎遭難の趾 | 東洞院通五条下る | 兵学者赤松小三郎が私塾の塾頭である薩摩藩士中村半次郎らに襲われ、ここで惨殺された |
| ◎文子天満宮 | 間之町通花屋町下る | 菅原道真の乳母多治比の文子が道真手彫りの神像を祀り崇めたことから天神信仰発祥地といわ |
| ◎千喜満悦天満宮 | 五条通高倉東入る | 菅原道真が右大臣に昇進した時の喜びを表した絵図と尊像を祀る |
| ◎市比売神社 | 市姫通下寺町東入る | 平安期東西の市場守護のため創建され、商売繁昌の御利益がありまたカード供養の塚がある |
| ◎天之真名井 | 市姫通下寺町東入る(市比売神社内) | 清和天皇から後鳥羽天皇に至る27代の間産湯に使われたという名水の一つ |
| ◎安産地蔵 | 富小路通五条下る(極楽寺内) | 源頼朝の室がこの地蔵に祈った後、島津三郎忠久を産んだことから、安産のご利益があるという |
| ◎上徳寺(世継地蔵) | 富小路通五条下る | 境内に安置された地蔵に願をかけた男に子供ができたことから安産、子授けにご利益がある。 |
| ◎堀内雲鼓句碑 | 富小路通五条下る(上徳寺内) | 江戸期に京大阪で最も高名な俳人の1人であった堀内雲鼓の句がきざまれている |
| ◎蓮光寺 | 富小路通五条下る | 負別阿弥陀仏、長曽我部盛親の墓がある |
| ◎駒止地蔵 | 富小路五条下る(蓮光寺内) | 平清盛が馬に乗っていると急に馬が進もうとしなくなり、地面を掘り起こすとこの地蔵が現れた。 |
| ◎八文字屋自笑の墓 | 富小路五条下る(本覚寺内) | 浮世草紙の作者八文字屋自笑の墓 |
| ◎新善光寺 | 富小路五条下る | 寺名は本尊が長野善光寺の阿弥陀如来の分身といわれることに由来 |
| ◎宗仙寺 | 高倉五条下る | 源融の邸宅(河原院)跡といわれる。 |
| ◎荘厳寺 | 六条通河原町西入る | 円山派の画家木下応受の墓がある。 |
| ◎金光寺 | 市姫通河原町西入る | 空也上人ゆかりの寺で時宗市屋道場と呼ばれた |
| ◎長講堂 | 富小路六条上る | 後白河法皇の六条御所跡、後白河法皇木像(重要文化財)がある |
| ◎万年寺 | 富小路六条下る | 源義経の念持仏ともいう阿弥陀如来を本尊とする |
| ◎延寿寺 | 河原町通六条上る | 歌舞伎俳優初代尾上菊五郎や日本画家川村曼舟の墓がある |
| ◎松明殿稲荷神社 | 七条通鴨川西入る | 社名は伏見稲荷の大祭の時に、伏見からきた輿を松明で照らして迎えたことによる |
| ◎木食上人の井戸 | 七条通鴨川西入る(松明殿稲荷神社内) | 大阿闍梨である木食正禅養阿上人が寄進したといい、礎石にその名が刻まれている。 |
| ◎等善寺 | 河原町通六条上る | 在原業平の異母兄で、小倉百人一首にも名が見える在原中納言行平の墓がある |
| ◎竹林院 | 河原町五条下る | 京都所司代村井貞勝の叔父である良雲入道が堂舎を建立した寺 |
| ◎河原院趾 | 木屋町通五条下る | 左大臣源融が造営した広大な邸宅跡で、榎の老木が残っている |
| ◎道祖神社 | 油小路通塩小路下る | 古くから外からの邪悪の侵入を塞ぎるといわれ、後に塞と幸が結びつき、縁結びの神ともなった。 |
| ◎伊東甲子太郎外数名殉難の趾 | 油小路通木津屋橋下る(本光寺前) | 新撰組脱落者伊東甲子太郎らが新撰組隊長近藤勇との酒宴の帰りに襲撃を受けここで絶命した |
| ◎明王院 | 油小路通塩小路下る | 本尊の不動明王像は空海作で、高野山波切不動尊、成田不動尊と併せて三体不動尊と呼ばれる |
| ◎梅ヶ枝の手洗鉢 | 西堀川通木津屋橋角 | 夫のために遊女となった梅ヶ枝が金の工面に祈り、その話は歌舞伎「ひらがな盛衰記」に登場する |
| ◎芹根水趾 | 西堀川通木津屋橋下る | 江戸期に書家の鳥石葛辰が自ら石碑を刻み、人々に愛用させたという京の七名水の一つであった |
| ◎文房四神之碑 | 西堀川通木津屋橋下る | 江戸期に書家の鳥石葛辰の手による石碑で道祖神社より現在地へ移転した |
| ◎木食上人供養碑 | 平安高校正面上る | 大阿闍梨である木食正禅養阿上ゆかりの地に立っている |
| ◎新撰組堀川本陣趾 | 堀川通木津屋橋上る | 伏見に移るまでの二年間本陣を構えた所で、大名屋敷の堂々たる建物であったという |
| ◎龍谷大学本館 | 猪熊通七条上る | 鉄製の門扉、窓などをロンドンから取り寄せた洋風建築の斬新な建物で重要文化財に指定されている |
| ◎江戸末期の京の絵地図 | 油小路通木津屋橋上る | 明治2年に作成され、江戸末期の京都市街とその周辺が描かれている。当時では珍しい七色の多色刷りである |
| ◎東本願寺 | 烏丸通七条上る | 真宗大谷派の本山。大門は御影堂門ともいい、知恩院・南禅寺三門とともに京都三大門といわれている。 |
| ◎枳殻邸(渉成園しょうせいえん) | 間之町通正面 | 東本願寺の別邸で国の名勝に指定されている庭園 |
| ◎大谷句仏句碑 | 間之町通正面(枳穀邸内) | 東本願寺法主であり、明治期の俳人であった句仏・大谷光演の句が刻まれている。 |
| ◎猿寺(正行院) | 高倉通塩小路下る西入る | 猿寺の語源で、ひざの上に小さな猿の木像を抱いた円誉上人座像がある寺 |
| ◎輪形地蔵尊 | 高倉通塩小路下る西入る | 地の前の牛車や馬車が通る道から1体の地蔵が堀り起こされ、交通安全守護にご利益がある。 |
| ◎七条仏所址 | 七条通高倉東南角 | 平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来の作者定朝をはじめとして運慶・快慶らがここで彫刻に励んだ |
| ◎粟嶋堂(宗徳寺) | 岩上通塩小路上る | 祭神少彦名命が腰から下の病、安産など婦人の守護神とされることから婦人病にご利益がある。 |
| ◎蕪村句碑 | 岩上通塩小路上る(粟嶋堂内) | 娘の病気回復の祈願に訪れた俳人与謝蕪村が、裸足でまいる女性を見て詠んだ句が刻まれている |
| ◎豆の子稲荷神社 | 坊城通北小路上る | 古くから子供の神様として有名で、名前の由来は、子供がまめな子に育つよう願われたことから |
| ◎権現寺 | 朱雀裏畑町 | 参道に、北白川の円覚寺から移されたという六条判官源為義の墓がある。 |
| ◎勝軍地蔵 | 朱雀裏畑町(権現寺内 | )身に甲冑を帯び、右手に剣、左手に軍旗を持った姿をしている。8月第3日曜日のみ開帳される。 |
| ◎身代り地蔵 | 朱雀裏畑町(権現寺内) | 森鴎外著「山椒太夫」の厨子王が追手から逃れる際、厨子王の身代わりとなったという。8月第3日曜のみ開帳。 |
| ◎朱雀坊 | 朱雀裏畑町 | 本願寺三世覚如上人の分骨所である。 |
| ◎福神社 | 壬生川通五条下る | 祭神が紀貫之ともいわれている |
| ◎西照寺 | 中堂寺西寺町 | 豊臣秀吉を雑炊でもてなし、喜ばれたことから、別名雑炊寺という。 |
| ◎長円寺 | 中堂寺西寺町 | 京都所司代板倉勝重が建立した寺 |
| ◎玉樹寺 | 万寿寺通櫛笥西入る | 江戸中期の産科医賀川玄通の墓 |
| ◎善徳寺 | 中堂寺西寺町 | 沖田総司の姉の墓。京紅で塗られた紅壁。美人になる御利益 |
| ◎末慶寺 | 中堂寺西寺町 | 大津事件に関わる畠山勇子の墓がある寺。 |
| ◎ 中堂寺 | 中堂寺西寺町 | 平安期に延暦寺横川中堂の別院として創建されたと伝えられる寺 |
| ◎右京六条一坊五町邸の復元模型 | 七本松通五条下る(京都リサーチパーク内) | 平安京の右京六条一坊五町にあった寝殿造の邸宅の復元模型がある |
| ◎中堂寺六斎念仏 | | 六斎念仏の上演組織が中堂寺にあったことに由来 |
| ◎若一神社 | 七条御所ノ内本町 | 平清盛が埋もれていた神体を掘理おこし崇めたところ出世したことから、立身出世のご利益がある。 |
| ◎天文観測器の礎石趾 | 御前通西塩小路下る(円光寺内) | 江戸期の天文家土御門家が屋敷内に天文台を設置し、都の地震を予測した址という(円光寺内) |
| ◎西蓮寺 | 西七条南中野町 | 松尾大社御旅所社僧をつとめた寺 |
| ◎梅林寺 | 梅小路東中町 | 土御門家の菩提寺で「寛永4年」「土御門泰邦製」と銘のある天文観測器の礎石がある。 |
| ◎網敷行衡天満宮 | 御前通北小路下る | 菅原道真が船の綱を敷き御座としながら白髪となった様を描いた像を祀る綱敷き天満宮と行衛天満宮が合祀されている。 |
| ◎寂蓮寺 | 西之町 | 柳地蔵尊と西覚大明神のこと。名前の由来は近辺にあった白蓮寺の一部と思われていたためと考えられている。 |
| ◎旧柳原銀行本店建物趾 | 上之町 | 地域の人々により設立された柳原銀行の旧本店で市内最古の銀行建築と推定される。移転。市登録文化財 |
| ◎銭座場趾 | 東之町 | 京糸割符仲間が幕府の許可を得て寛永通宝を鋳造していた銭座の址で土に銅が多く含まれている。 |
| ◎勝定院 | 七条御所ノ内本町 | 足利四代将軍義持が開基した。本尊は義持の念持仏である阿弥陀如来である。 |
| ◎勝明禅寺 | 七条御所ノ内本町 | 平清盛が熱病を患った時、当所の井戸水で全快し、清盛没後、菩提を弔うため建立された。 |